昭和44年11月16日 夜の御理解


 青年会の大会に、本当にここまで信心を皆さんが極め、極めようとしておる。しかも、合楽の信心の、まあ独壇場とも言うべき所をそれぞれに把握して。えーその事を、絶対な物として、様々一切な事を、信心を進めておると言うこと・・・これ非常に響くですね。お話しにくいです、とても。あまり響きすぎて。どうか、ま少し調整出来ない?(マイクの注意をされる)

 私、関心するやら、有り難いやら思わせて頂いたんですけども。もうとにかくあの、合楽の信心はここだという所を、一つ本気で分かって、して、それを持って、あの段々それをスッキリした物に、本当の物にして行かなきゃならんと思うです。皆さんもお読みになったかも知れませんけれども。その「前文?」のところを読ませて頂きます。始めのとこ、会長の挨拶のところに。

 親神様、親先生のおかげによりまして、本日ここに第2回金光教合楽教会青年信徒大会を開催させて頂きましたことは、本当に有り難い事でございます。皆さんを代表して、ここに有り難く、厚く御礼を申し上げます。早いもので、皆の願いの元に開かれました、昨年の第一回の大会からもう一年。その間、会員各自の信心の上に、そして地域青年会活動の上に広大なおかげを頂き、多くの人が育てられて参りました。

 いよいよ、親神様の私共に対する願いを痛感せずにはおられません。本日、この大会もそうした願いの元に開催されるんだと思わせて頂きます。本年は、大会にテーマを儲けさせて頂きました。信心の喜び、「信心の中の、生活の中の信心」。このテーマを中心にして、各自頂いておられる信心を率直に出し合い、話し合う中からより本当の事を分からせて頂きたいと思います。

 私達の周囲に起こって来る、様々な問題に対し、決して逃避するのでなく、真正面から真剣に取り組ませて頂き、その事を通してお育てを頂く。そしてその事のすべてが神愛であった事を分からせて頂かねばならない。そこに親神様の願いを分からせて頂いた時、信心の喜びが、その願いを私の願いとして、受けさせて頂き、固定させて頂く時、神様と私が一体となって喜び合えるんだと思います。

 信心の喜びはここに極まるのではないでしょうか。私が今思っている事が、やっている事が、果たして本当の事なのか。真の道の中、常に足元をしっかりと見極めながらお取次ぎを頂いて、正しい道付けをさせて頂きたいと思います。本日のこの大会を、一つの節として、明日への信心の克とさせて頂くと共に、この各人の信心の上に、そして会組織の上に一段とおかげを蒙らせて頂きますよう、お祈り申し上げます。

 どうぞよろしくお願い致します、と言うのが「        」。だから最後に、教祖様は、信心して、あれもおかげであった、これもおかげであったと分かるようになると、真の信者じゃと仰せられます。私共はその真実の信心を目指して、いわゆる本当の信心をめざして、日々信心修行に取り組ませて頂いております。

 あれもおかげであった、と分からせて頂く事ももちろん尊い事でありますが、しかし、これもおかげであったと分からせて頂けれるような信心をさせて頂いてこそ、私共の本当の助かりがあるように思うのです。椛目、合楽を通しての私共の合言葉、限りなく美しくなりましょうという事。風呂に入ったらまず垢を落とし、その上に石鹸をつけて磨かなければならんと、何時も仰せられます。

 私共、心の内の垢を落とし、それにいよいよ磨きをかけて行く。そういう信心が身について行って、初めて分からせて頂く事。この問題、この難儀が私を改まらせて下さる、磨かせて下さる。神愛の現れ、いわゆる、あれもおかげなら、これも、これはこのような神愛の現れであった。いわゆる、これもおかげであったという事が分からせて頂けれる。そこに私共の真実の助かりがあります。

 今日、ここに私共、合楽青年信奉者が一同に会し得ました事は、実に喜ばしい事であります。混沌として、現代の思想の中にあって、我々、合楽青年会員は神様が、それこそ、天地悠久の昔より、求めに求め、願いに願われて来られた人類の真実の助かりという大悲願を「膝下と?しっかりと?」受けて立つ時ではないでしょうか。為には、それこそ古くて新しい言葉。いや、未来永劫に、新しい合言葉。限りなく美しゅうなりましょうということ。この信心を本日の青年大会を境に一段と進めさせて頂きたいと、念願致しますという。

 その、どちらを読ませて頂いても、合楽の信心の極地だと、こう思うんですよね。だから皆さん、これを本当にそうだと思うておるところに、合楽の信心の素晴らしさがあるんです。だから問題が解決する、問題が問題にならん訳ですね。だから、ここんところはお互いが皆、誰しもが、これこうだと一つ思い込ませて頂いとかなきゃならない。

 それを、垢抜けして行く者、限りなく、んなら美しくなるという事でも、もうこれには限度がないのですから、いよいよそれw進めて行くという事が合楽の信心です。いや、それが金光様の御信心だと、確信させて頂いておれれるだけでも、合楽の信奉者、幸せだと思いますね、どうぞ。